39年ぶりの円安が意味するもの
2026年07月02日(木)
昨日の日経新聞で39年ぶりのドル円163円なる見出しがあった。
39年前と言えば1987年だが、ドル円は1885年9月のプラザ合意から2年で100円近く大きく円高になった。
プラザ合意とは、ウィキペディアによると以下の解説がある。
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1985年9月22日、先進5か国(G5)財務大臣・中央銀行総裁会議により発表された、主に日本の対米貿易黒字の削減の合意の通称。その名は会議の会場となったアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市のプラザホテルにちなむ。
会議に出席したのは、アメリカ財務長官のジェイムズ・ベイカー、イギリス蔵相のナイジェル・ローソン、西ドイツ財務相のゲルハルト・シュトルテンベルク、フランス経済財政相のピエール・ベレゴヴォワ、そして日本の竹下登蔵相である。以後の世界経済に大きな影響を及ぼした歴史的な合意だったが、その内容は事前に各国の実務者間協議において決められており、この会議自体はわずか20分程で合意に至る形式的なものだった。
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1985年9月22日は金曜日、確かドル円為替レートは235円程度ではなかったか。
週明けのレートは10円円高になっていた。
当時、私は重機メーカーの財務部門にいた。
約5000億円のドル建て債権を管理する部門、出社するや否や、部長に対して、早々に為替予約したほうが良いのではないか?と提案したが、部長は、10円も一気に動いたんだから半値戻しもあるだろう、ちょっと待て!と言った。
そして、年末まで一気に円高が進み、12月にはドル円は180円台に入っていた。
忘年会で部長に、半値戻し無かったですね?というと、今回は違ったな・・・・と反応。
外貨建て債権は2割減価し、その後もドル円は戻ることはなかった。
プラザ合意で日本の輸出企業は大きな痛手を被ったわけだが、円高にして、日本から米国への輸出を減らす効果は果たせたわけだ。
そこから、自動車メーカーを中心に製造現場を海外にシフトする動きが一気に加速したわけだ。
話は、元に戻して、ドル円為替で40年前の水準もあり得るとしたら、ドル円は200円台まで円安になる可能性もある。
円高になって、輸出の採算は厳しくなったが、輸入にはメリットがでたが、これが日本のデフレを引きおこしたとも言える。
資源はやむを得ないが、食料品の輸入比率が上がったのは円高だったからに他ならない。
だが、いまは円安で日本で作ったほうが安くなってきているはずだが、生産者がいなくなってきているのが現実だろう。
なんでも海外製品を買ったほうが安かった時代は終わり、時給自足しないと日本は生きていけなくなってきてるが、この構造転換は一朝一夕にはできない。
とすれば、資源、食料、最近はデジタル赤字もあって、日本は生きていくために米ドルを日々買わないといけない状況だ。
これで、円安を止めることができるのだろうか?
為替介入は焼け石に水だということが分かっているので、財務省も39年ぶりの円安水準になっても動かないのではないか。
次の介入水準は165円よりも円安にならないとやらないような気がする。
日銀は物価だけをみて金利水準を決める、為替は財務省管轄、という思想ではこの円安は止まらない。
だが、仮に利上げで円安を止めることができたとしても、そのしっぺ返しは日本国民にのしかかるはずだ。
住宅ローンを変動で借りた人々が多いのだが、0.5%で35年ローンを組んだ人の金利は2%台に乗ってきていて、来月になると3%に近づくようだ。
きっと3%だったら買えなかった人が0.5%だから買えた新築のマンション、この先の利上げで、返済が滞り、投げ売りが出てくる可能性はある。
マンション売っても、借金だけは残る、その人の人生、お先真っ暗となる。
企業の設備投資もしかりで、1%台で借入して投資してきた時代は終わり、3%払わないといけなくなったら、その設備投資、ちょっと待ったとなるかもしれない。
利上げは日本経済のブレーキ役となる。
為替で円安、物価高騰も困るが、利上げで経済が委縮するのも困る。
この時代の経済のかじ取りは非常に難しいが、おそらくこの状況はしばらく(数年ではない)続きそうな気がする。
レジームチェンジが起こったと考えたほう良い。
デフレからインフレ、円高から円安、低金利から金利ある世界、過去30年間生きてきた世界とは異なる世界が始まった。
いまは、始まりの始まりの時間軸だと考えたほうが良い。
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